番外編:死んだ後に
番外編です。
妹が自殺した後の、自分について書きます。なので、明るい内容では決してないです。
明確に覚えてないけれど、悲しさよりも死の衝撃の方が大きかったあの頃、に思う。
食欲ない、しっかりとは眠れない。
そして、感覚的に死が身近になった。正しく言えば、自殺が身近になった。
天井の梁を見ればロープを想像したし、仕事で包丁を使っていたらなぜか手首に当てたくなる。部屋にいると、窓から飛び降りたくなる衝動に駆られる。影響されやすいタイプなので、衝動が湧いてきてとても困った。もともと健全すぎるほど健全なのに。まあでも1ヶ月くらい。
救いは仕事。とても良い職場だったので。夢のような職場だった。楽しかった。
それから本。本だけが私の気持ちを分かってくれるように感じた。
音楽。状況を知らない人から紹介される音楽がちょうど死の歌、自殺の歌だったりして不思議だった。
たびたび、旅行をした。バスに乗ってる時、電車に乗ってる時、心地よかった。移動、動く乗り物ってやっぱり良い。
数か月後にJRに揺られあてどなく移動していた。ちょうど久石嬢の曲を聴きながら。
本当にここじゃないどこかへいける気分だった。千と千尋のあの電車に乗っているような感じ。「The Name of Life」「The Sixth Station」「Fragile Dream」「Legend」あたり響いた。ちょうどその時曲を聴きながら閃いた。もしかしたらこじつけかもしれないけど、まあ、閃いた。
「(仕事も楽しいし、好きな人もいるし、今自分は結構幸せで)今なら死んでも後悔ないな」。なんか文字にすると微妙ですが、心から晴れやかな気分でそう思った。きっと妹もそういう気分で死んだのではないか。「今なら死んでもいいかな」と思ったのではないかな。遺書がなかったから理由なんていつまでも分からないけど、その日ちょうどそういう気分になったのでは。と。
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今もののけ姫をみていて、
「悲しみと怒りにひそむ真の心」
この言葉が印象に残った。
断片的にぽつぽつと
またしても、思い出せないですが。それでも書こうと試みてみます。
断片的に。
深夜の映画。
私が高校生くらいの頃、ちょうど年末か年始くらいで、深夜でもテレビで映画をやっていた。私と妹、こたつに入って見ていた。2時とか3時とか、それくらい。しゃべりもせず、一緒に見よう!という感じもなく、ただ観ていた。予想外に響いて、映画の後余韻に浸っていた。なんとなく、同じような感覚を味わっていたような気がする。二言、三言しゃべったような、しゃべってないような。
『バタフライエフェクト』という映画。過去にしたこと、蝶が羽ばたくような小さなことでも、それはどんどん大きくなって未来はこんなに変わるよ、という感じのもの。
小さい頃のケンカ。
私は小学生高学年か、中学生かくらい。お父さんの車に乗っていた。何が原因だったか忘れたけど、喧嘩になって私は妹の髪をむしりとった。妹ぎゃあぎゃあ泣いた。私は凶暴だったのかな…。ほぼ毎日何かでケンカをしていた気がする。
二人部屋。
私と妹は二人部屋だった。小学生の頃、新しく家を建てようとなった時になぜか「二人一緒の部屋でいいよ!」と言ったらしい。二段ベット。一緒の部屋で寝ていたはず。そんなに覚えてないけど。たぶん途中から妹は居間で寝るようになったんだと思う。
合宿。
私が中学生の頃、部活の合宿があって、お母さんがご飯作りに来ていたけど、妹も来ていた。その時のなんとなくの情景が思い出される。
pursuade 説得する
思い出を書いてみようと思いましたが、なんか、もしかしたらそんなに思い出がないかもしれないです。仮にも20年間は同じ家で過ごしたのに、あまり思い出せない。
思い出したら随時書いていこうと思います。なんで、なんのために、は、自分のためにです。心の整理のため。
妹「pureuade」
私「説得する!」
妹「puesade」
私「説得する!」
私が高校生の時、塾に通っていた。英単語のテストがあって、よく妹問題を出してもらって答えるという形をとっていた。やっぱりちょっと子分のように思ってたのかな。
この単語は今でも覚えている。何回も、10回以上は出してもらったような気がする。
強気で何も考えていない私と、そんな私に従う妹、ってとこだろうか。
なんか、私が嫌な人みたいに見えるけど。ちょっと自分勝手だったのか?
確かに妹に優しくした記憶は皆無。
あともう一つ思い出したのは、
私がピアノで「栄光の架け橋」を弾き語りしていて、そばに妹がいたこと。
正確には、そばに妹がいたかどうかは覚えてない。
その後に母から聞いた、妹から私への褒め言葉を覚えてるというだけ。
その栄光の架け橋の弾き語りを褒めていた内容と思う。
だからか、私は心のどこかで、ボスのような私、それと同時にある意味「敵わないお姉ちゃんには」とも思われていたのではないかと思っている。分からないけど。
うーん。そしてさらに言うと、それが、いや、私の存在が、彼女の自己否定感繋がったのでは?とも、たぶんふと思っている。
罪悪感
この記事はじめじめ度高いかもしれぬ、です。
じめじめ、嫌いなんですけどね。もう、書くって決めたから書きます。
妹が大学生の時。
引きこもりになったんだって。
私は県外にいて仕事に必死な時期だったんだろう。あまりその頃のことを覚えていない。
連絡先も知らなかったけど、親にアドレスを聞いてメールを送った。
気恥ずかしかったから、ちょっとおちゃらけて少し上から目線での文面。
返事は来なかった。
自分の好きな作家さんの本を渡そうかと思っていた、私がそれで救われたというか拠り所だったから。分かりあえるかなと思ったり、考えていた。
渡していたら何かが違ってたんだろうか。
妹が死んで、自分を責めるということはしなかったし、思いだすことも減っていったし、むしろ少しホッとしている自分もいたしで。割と楽しく暮らしている。
お父さんが言った「ぼちぼちやっていきましょ」て言葉通り、普通に暮らしている。
実家に戻ってきて半年後くらいに妹が自殺したわけだけれども。
私が帰ったのがきっかけの一部でもあるのだろうか。
それとも半年でも最後一緒に暮らせて良かったと思うべきなのだろうか。
帰らなかったらまた違った結果だったんだろうか。
実家に戻ってきてから、途中から妹の悪口を言うのを辞めた。悪口言うの辞める、って決意した覚えがある。
相変わらず、同じ家にいても一言も言葉を交わさない二人だった。
妹がいるだけでピリッとしたような、意識している自分がいた。
けど、少し空気感が変わってきたようにも思えた半年間だった。
悪口言わないことにして良かったって思ってた気がする。
「パソコン代わって」という妹の目と、しょうがないなという嫌々変わるていの私の間にはそんなに嫌なものはなかった気がする。
一方で、妹の人生において私の存在は影響を及ぼしたんだろうな、という思いもある。そこらへん今はうまく書けないんだけど。
遺書もなかったから分からないし。
ああやっぱりじめじめしていますね…!
なんだか妹に対して未練たらたらな姉、の図ですね。
口や頭では関係ない、思い出さない、と言っていますよ。
妹とは
悪いところばかり書いている気がするので、良いことも書こうと、試みてみます。
小さい頃は素直で優しくて、そんなイメージだった。
だんだん、オーラが暗くなり、攻撃的になり、嫌いになっていったけれど、やはり基本的な本質は優しくて繊細なのかな。
絵がうまくて、写真もうまかった。美術的なセンスは完全に負けていた。
私が考えなしでポンポンがさつに生活していくタイプだとしたら、妹はその反対なのだろう。
日焼けを気にして部屋のカーテンまで閉めるのが妹。日焼け止めを塗らない私。
1時間(かもっとかは知らないけど)メイクをする妹。5分で終わる私。
歌詞を重視する妹、カラオケに行って初めて歌詞の意味を知る私。
物事をがっと一気に進めていく妹。コツコツ派の私。
妹はいつもがっとやっては途中でパタンと折れる。
部活も塾も受験も、いろいろ。
また、いつものパターンだと思って見ていた。
私や両親は、妹が死んだあとに「そうやって生きることにも折れてしまったのかもね」て言い合った。
母親似の妹。父親似の私。
それでも、同級生からは見た目そっくりと言われていた。まあ、姉妹ですからね。
字とか、人目を気にするとことか、興味を持ったものを調べまくるところか、人とうまく付き合えないところとかは似ていた。それについて話し合ったことはないけど。
年が少し離れているので学校でかぶることはほぼなかったけど、同じような道を辿ってきた。同じ部活に入り、同じ塾で学び、同じ高校へ行き、同じ大学へ行った。
妹とは。なんなんでしょうね。結局良いところそんなに書けませんでした。
とにかく仲が悪い
こういう風に妹のことをブログに書いているわけだけれども、とても仲が悪かったです。
小さい頃は喧嘩ばかり。
私が結構暴力的で、なかなか激しい喧嘩をしていたように思う。
でも、その頃は仲良いこともあった。
いや、もしかしたら私だけ思ってただけで、ボスと子分みたいな気持ちだったのかもしれない。妹は。
でも、小学校一緒に登校したり、SPEEDの曲を一緒に踊ってみたり(いや、踊らせてみたりの方が正しいのか)していた。部屋も一緒だったし。
いつの頃か、妹は背も伸びて、口でも勝てるようになって、その頃から険悪な感じになっていったのかな。
それでも、私は結構話しかけたりしてた気がする。
ある日。
部屋の電気がつけっぱなしになっていたから、親切心で消した。
妹は起きていたらしく「付けてよ」と訴える。二人とも頑固なので譲らない。私は絶対電気をつけない。
紙に何かを書いていた。
後から見たら
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね..........」紙いっぱいに。
そこからは本当に必要最低限しか口をきかなくなった。大学生くらいの時の話だろうか。
連絡先も知らないし。私も就職して県外に出るから接する機会も限られているし。
後に妹が書いた家族レポート(学校の課題らしい)には、この時のことが書かれていた。
もちろん死んだあとに見たわけだけど。
この頃、話しかけてくるお姉ちゃんが鬱陶しかったらしい。
ただ、いきなり無視するのは変だから、きっかけを作ろうと思ったんだって。
話さないきっかけ。それがあの紙。
それを読んだ時私は屈辱と言うかなんだか不快な気分になりまして、馬鹿みたいだ、と。妹が死んで悲しんでるけど、その結果がこれ。
そんなこんなで結構思い出は美しくなかったりする。